イベント僧侶

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    2017年6月28日(水) 僧侶 大鐵

     私は先日布教師の総会で地域の中で寺院はどう関わっていくべきかということをテーマに分散会をしましたところ、8割の僧侶が寺院でイベントを開いていると答えました。私自身過去にも色々とイベントを開いたり、計画したこともありますが、宣伝方法が未熟で参加者が集まらなかったこともあり、労力と資金面であまりにも負担が多いため余りイベントを重要視しなくなりました。成功したときはすごいよく見えるイベントですが、中身は本当に布教なのか、敷居を下げるためといいますが、イベントのときはお寺に来るがその後普段のときにふらふらと来るようになったか?はなはだ疑問です。現状は全く変わらないのにイベントだけしてその気になっているのは疑問視されます。

     イベントはできる寺院とできない寺院の差が激しすぎます。そうではなくて、もう少し僧侶としての慈悲の実践を行うべきと思います。お寺で困っている人が来るのを待つくらいなら、いっそうのこと「お寺を捨てよ。街に出よ。」の精神で寺院から離れてみることも大切です。自分個人の力がどの程度発揮できるかを試すことも必要なことです。海外に行き、初めて日本の良さがわかるようにもっと僧侶は外に出て、様々な人とかかわるべきです。

     私はイベントは否定しません。自分の力量に合う程度すべきと思いますが、以前手伝ったイベントで食べ物を平気で捨てたり、参加者の意見として「なぜ子供がいるんだ」とか「なぜ椅子がないんだ」とかそんなことを聞くと仏教本来の教えから遠くになってしまいそうで、逆に布教ではなくなりそうで本来の目的には沿ってないと思います。結局手に負えない化け物を作り出してしまいますので、僧侶側はそのような想定できることを対策することはもちろんのこと、参加者も寺院でのイベントに参加する際は仏教のことを勉強して参加してください。

    jimyouin * - * 09:55 * - * - * - -

    2017年6月21日   僧侶 唯心

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      先日、慈妙院で法要をされた方が、その後、お電話で、どうしてお参りの時に本堂の灯りを暗くしてあったんですか? と質問されたそうです。他のご僧侶の担当の日だったので、心を集中するためですと、そのお坊さんが答えて下さったそうです。

       

      さて、今度は私が担当の日に、その方が法要に来られたので、どうしてそのようなご質問をされたのですか? と逆にお聞きしてみたら、ペットだからかなと思いまして、とのことです。

       

      ペットだからとは、どういう意味でしょう? 世の中にはペットと人の供養は同じではいけないと思っておられる方があります。

      線香は半分でなければならないとか、動物のお骨を長く家に置いていてはいけないとか、そんな迷信がまかり通っています。

       

      ペットだから灯りは半分でいいんだ、というお考えなら、間違いだということをお伝えせねばならないと思って、「ペットだから暗くするとはどういう意味ですか?」とお尋ねしたら、「うちの子は猫だったんで、ペットは夜行性だからかなあと思いまして」とのことでした。

       

      そんな可愛らしい疑問だったのなら安心いたしました、なるほど、よくわかりました、でもそういう意味ではありません、あくまで心を集中するためなので、どうぞ可愛がっていた猫さんのために、しっかりお参りしてあげて下さいねと、申し上げておきました。

      jimyouin * ペット供養 * 11:39 * - * - * - -

      2017年5月30日   僧侶 唯心

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        奥さんを亡くされた若いご主人が、みんなそろそろ前を向け、前を向けって言うけれど、どうやったら前を向けるんだよ、教えてくれよと、周りの人に当り散らしている映画がありました。

         

        お坊さんもよく、亡くされた方の供養をされている方に対して、「前を向く」という表現を使うことがありますが、そのシーンを見て、無造作にこの言葉を使うのは、気を付けなければいけないなと思ったものです。ただ一つ言えるのは、世間では前を向くってどうすればいいのと聞かれた時に答に窮して終わりかも知れませんけれど、お寺にはその答があるということです。

         

        正しい形に則ってお参りをしていると、自分が前を向こう、などと意識していなくても、いつの間にか心が調い、自然と心が前を向いている、お寺のお参りというのは、そういうものです。仏さまの教えというものは、そういうものです。

         

        どうかご安心なさってください。しっかりとお参りさえしていれば、ペットを亡くしたあなたの辛いお気持ちも、ペットさんを供養してあげようというあなたの優しいお気持ちも、すべてが功徳となって積み重なり、ペットさんの供養を、自動的に、自然に前へ前へと進めて行くのです。

         

        慈妙院動物霊園

         

         

        jimyouin * ペット供養 * 16:38 * - * - * - -

        古より軍神と呼ばれて、今は・・・

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          2017年5月13日(土) 僧侶大鐵

           

           5月8日はアンリー・デュナンの誕生日です。え?!知らないって。それなら「赤十字の日」これならご存知ですか?赤十字とは戦争や災害があったときに真っ先に支援に向かう団体さ。怪我や病気をしていたら国、民族、犯罪者関係なく治療、手当て、支援を行います。その赤十字を作った人がアンリー・デュナンさ。因みに第1回ノーベル平和賞受賞者。最初の受賞者です。以後、お見知りおきを。

           話は変わって、今日、東司(お手洗い)で大きなゲジを見ました。多足動物でムカデやヤスデ、グソクムシと同じ仲間。今は害虫の厄介者。しかし、古より日本では軍神として称えられたときもあったのさ。虫をはじめ、長い虫は軍神として特に崇められ、武田信玄が百足隊を結成し、百足の旗まであるくらいです。それは虫は前には進むが後退しないから。虫は後退する術を知らないわけではありません。しかし、どんな大物が近づいても前に進み、取りあえず相手に向かっていきます。意外に相手に向かうほうが逃げれるんだぜ。一寸の虫にも五分の魂を見せ付けるのさ。

           これから夏が本格的に到来し、虫の季節となりますが、作物を荒らす虫には殺虫剤を散布し駆除されます。しかし、殺虫剤は害虫を駆除するものではなく、害虫を食べる他の動物たちも駆除してしまう可能性もあります。量によっては人間の体にも害を与えてしまいます。

           ただ言えることは、命は大切にしましょう。奪った命は供養する気持ちを持ちましょう。毎年、収穫の時期に行う地域もあります。それを虫供養といいます。世界広しといえどもこのようなことをするのは日本だけかも知れませんね。

           私たちも知らず知らずの内に命を奪っております。それは生きるためでもありますし、自分たちの感情を引かせるためでもあります。どんな理由にせよ懺悔する気持ちをなくさないようにしましょう。

           

          jimyouin * - * 17:23 * - * - * - -

          2017年5月11日   僧侶 唯心

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            慈妙院の仏間に「釣月耕雲」の額が掛かっています。

            意味を尋ねられて、禅語だとは思いましたが正確に分からなかったので、禅僧である大鐡和尚にお聞きしてみました。

             

            これは道元禅師の「永平広録」に出てくる言葉で、月を釣り雲を耕す、つまり、ただ生活の糧を得るためだけに働く(=魚釣りをしたり畑を耕す)のではなく、天地自然の中で悠々と自在に遊ぶのが修行生活のあり方だということを示す語だそうです。

             

            お参りの際に壁に掛かっているこの言葉を目にしたら、是非、心を休めてくださいね。

             

            ペット供養・葬儀・火葬・法要

            慈妙院動物霊園

             

             

            jimyouin * お寺の日常 * 16:40 * - * - * - -

            2017年5月1日  僧侶 唯心

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              ペットさんが亡くなって四十九日目が満中陰、100日目が百か日、1年目が一周忌、まる2年目が三回忌、まる6年目が七回忌です。

               

              その後は十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌というふうに、3と7の付く年に年忌法要をするのが正式です。

               

              四十九日まではまだ仮の仏さまで、皆様のお気持ちが49日分積もって、満中陰の日に無事極楽往生、正式に仏さまとなってペットさんは極楽浄土にたどり着かれます。

               

              とは言うものの、こちらの気持ちが四十九日でぴったり癒えるとは限りません。一周忌の法要でさらに心を調えるまでにはまだまだ日があるのに、何でしょう、このつらい気持ち、どうしようもない悲しさは。

               

              そんなくらいの微妙な時期に行う法要が百か日の法要です。人間の法要でも、百か日はご家族だけで行うことが多いのですが、それは100日目というのが本当に近しい人たちが悲しむ日だからなのかも知れません。

               

              そして先ほども言いましたように、1年目が一周忌、まる2年目が三回忌、まる6年目が七回忌というように、法要を行う期間は少しずつ少しずつ長くなって行きます。

               

              日にちが経てば悲しみが癒えるとは必ずしも限りませんが、少しずつ少しずつ、ゆっくりとお参りしていれば、少しずつまたゆっくりと、段々心が調って少しは心が軽くなって行く、その行程と供養の深まり度合いというのは正しくぴったりと比例するものです。

               

              なぜ3と7の付く年に法要を行うようになったかは諸説ありますし、私にもわかりませんが、心を癒すための絶妙なタイミングを、昔の人たちが自分たちの経験に即して決めておいてくれた目安が、年忌法要なのだと思います。

               

              慈妙院動物霊園

               

              jimyouin * 四十九日供養 * 14:26 * - * - * - -

              私に聞いてよ

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                2017年4月21日 僧侶 大鐵

                 

                4月8日はお釈迦様の誕生日です。お釈迦様は今から約2,000年以上前、一説によると紀元前463年頃にネパールのルンビニ園にて誕生されました。伝説になりますが、生まれてすぐに、立ち上がり七歩歩み、右手を天に向け、左手を地上に向け「天上天下唯我独尊。」と唱えました。これは「天にも地にも私という存在は唯一無二の存在だから尊いのである。」という意味です。たまに辞典では「自分勝手」と訳されたものもございますが、元来は個人の尊厳を含む意味です。

                 

                 最近、SNSが普及してきて、我が子の誕生に喜んだ親が誕生したばかりの我が子の写真を撮り、SNSに載せている記事をよく見かけますが、我が子、赤ん坊に許可は取ったのでしょうか?赤ん坊といえども生まれたての裸の写真を公然に曝すなんて、子が成長してそれを知ったらどう思うでしょうか?配慮が足らないと思います。特に女性なら尚更嫌なのではないでしょうか?本人の許可なく何でもしていいものではありません。せめて、服または襦袢を着せてからにしましょう。

                 

                 もう一度言います。お釈迦様が誕生して「天上天下唯我独尊。」と唱えましたのは個人の尊厳は誕生した瞬間、否、子を宿した瞬間から生まれ、そしてそれはどんな人にでも個人の尊厳があることをお示しになっております。生まれの違いはどうすることも出来ません。しかし、どんな人も尊厳を持っております。だからこそ、自分を大切にすると同時にあなたが好き嫌いにかかわらず、他の人も大切にすべきなのです。さらにはその気持ちや行動がどんなものにも向くとより良いものになるに違いありません。

                jimyouin * - * 17:01 * - * - * - -

                戒名料

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                  2017年 4月9日(日) 僧侶 大鐵

                   

                   最近、こんなことがありました。ある僧侶が戒名料を取る僧侶は許せないと言ってきたことです。話を聞くとどうやら大切な人を亡くした女性が近所の有名な寺院に葬儀のお願いに行ったそうな。その女性は法外なお布施と戒名料を請求されたそうな。私はその寺院さんにも事情があるし、そもそも檀信徒でもない人が急に来て戸惑ったのではないでしょうか?と言いました。さらにいくら請求されたかは明らかになっていませんので、私は冷静に双方の話を聞きたいと言ったのですが、僧侶が悪い僧侶が悪いの一点張り。いつしか中立の私が寺院側の肩を持ったと言われ私が責められる始末。

                   確かに昨今の寺院は規模が大きな寺院になると高級車を何台も持ち、自分は仕事をしないでゴルフ三昧な住職もいます。「坊主丸儲け」という言葉は死語になった験しがございません。そんな固定観念が今回のお布施や戒名料のことになったと思います。僧侶ならお金の話の前にまずは来るもの拒まずで話を聞いて回答したほうがいいのでしょうか。でも、結局はお布施などの料金の話になるのです。それはお布施が不明瞭な点も上げられます。最近は寺院にも所得税が掛かるようになり、お布施や戒名料も決められている寺院も多いのも事実です。僧侶も生身の人間、食事もするし、お参りに移動手段として自動車もいる。子供が学校行くのにそれなりに教育費が掛かりますし、法具などは購入者が寺院しかないから、割高。お袈裟、衣はオーダーメイド。衣のクリーニングはスーツを洗うより高い。地味な法衣を着ていくと嫌味を言われ、金襴のお袈裟を着けると「坊主丸儲け」と言われる。

                   僧侶とは一体何でしょう。世間のストレス解消に言いように使われている気がします。僧侶は怒らず、私たちを受け入れてくれるものと勝手なイメージでこのように思われたらそうするしかありません。しかし、人の優しさに付け込むことはよろしくありませんよ。

                   確かにろくでもない僧侶はいます。でもしっかりした僧侶もいるのです。天上天下唯我独尊。人を領域で見るのではなく、一個人として見ましょう。皆それぞれ違って当たり前なのです。

                  jimyouin * - * 17:47 * - * - * - -

                  2017年4月8日   本日の担当 僧侶 唯心

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                    ペットのお葬式をされた方が、翌日にもう一度訪ねて来られて、昨日のうちのペットが生き返ってませんでしょうか? と仰いました。

                     

                    お気持ちは重々よくわかります。

                    この悲しい出来事が、何かの間違いであればと思う、そのお気持ちは、痛いほど、よくわかります。

                     

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                    明日4月8日は仏誕会(ぶったんえ)と言って、お釈迦さまがお生まれになった日です。

                    お釈迦さまが2500年前のインドに生まれて、29歳で出家し、35歳で悟りを開かれたところから、仏教が始まりました。

                    さて、お釈迦さまの時代のインドの話です。キサー・ゴータミーという名の、自分の幼い子供を亡くした女性がいました。

                    半狂乱になった彼女は、お釈迦さまが本当に偉い方なら、どうか自分の子どもを生き返らせてくれと言ったそうです。

                    するとお釈迦さまは、では生き返らせてあげよう、そのために薬を作ろう、その薬はケシの実から作ろう、もしもお前が死者を一人も出したことのない家からケシの実をもらってくることが出来たなら、子どもを生き返らせるための薬を作ろうと答えたそうです。

                    ゴータミーは必死になってケシの実を探しましたが、死者を出したことのない家は一軒もなく、そして遂に彼女は、葬式を出したことのない家はひとつもない、すべての生き物は必ずいつかは亡くなるのだという、単純だけれども動かしがたい真理を、たちまちの内に了解して、お釈迦さまの弟子になり、後々は立派な長老の尼僧になったということです。

                     

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                    とは言うものの、お釈迦さまも最愛のお弟子に先立たれた時は、ずいぶん悲しまれたということです。

                    ただ、悲しいけれど、そこから前に進めないか、いや、進めるんだ、ではどのように? ということを説いてくださったのが、お釈迦さまの教えです。

                     

                    仏教寺院である慈妙院でペットさんのお葬式を挙げてくださったことは、皆さまの何よりの法縁です。

                     

                    明日は仏誕会です。

                    どうぞ、皆さま、お参りください。

                     

                    慈妙院動物霊園

                    jimyouin * お寺の日常 * 16:09 * - * - * - -

                    只のものは何一つない

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                      2017年3月30日(木)平野 晃嗣

                       

                       あるニュースで仏壇のお炊き上げの映像が放映しておりました。そこで仏具店の方が最近は「独り世帯が多くなり仏壇を作るより、お焚き上げのほうが多くなりました。寂しい限りです。」ということを言っておりました。

                       

                       2013年の調査によると、仏壇の保有率(2人以上で暮らす世帯)は39・2%だった。これを、住宅種類別で比較したデータによると、一戸建てでは半数以上の51・8%が仏壇を保有していたが、マンションなどの集合住宅では21・1%にとどまった。

                       

                       これからは核家族ならずに単身一代限りの世帯が増えるに従い仏壇保有率は減ると思います。「仏壇」の本来の意味は、文字通り、仏像や仏具を飾り、仏様を祀る台のことです。家庭のお仏壇は、寺院にあるお仏壇(内陣)を小型にして、厨子と一体化して箱型にしたものです。ですから、お仏壇は家の中のお寺のような存在です。

                       

                       仏壇が無くともお寺参りをすれば特に問題はありません。現に寺院にお参りする人は増えている傾向にあります。

                       信仰の形式が変化したのであり、そこは宗教者が柔軟に対応しなくてはならないのではないでしょうか。

                       

                       私は最近、雛人形の人形供養を対応したことがあります。雛人形は女子の守り神として代々母から子、孫へと受け継がれ、100年ものの人形も珍しくない。そんな雛人形を何の惜しみもなく供養するとは供養という名の処分に等しいと思います。それは依頼されれば、精抜きをし、お焚き上げはします。でも私としてはものを大切にする心を失って欲しくありません。

                       

                       仏壇も雛人形もそこに気持ちが入らなくなったらそれは只の箱になり、人の形をした置物となります。「これを護惜(ごしゃく)すること眼晴(がんぜい)の如くせよ。」という言葉があります。ものは自分の眼のように大切に扱いなさいという意味です。大切に扱う気持ちを持つことは仏の行いと同じになるのです。

                       

                       除夜の鐘も最近、裁判で騒音と判決されて中止になっているお寺も増えているそうです。これも結局、鐘の音ではなく、騒音としか思わなくなった現われではないでしょうか?お寺の鐘は戦争で鋳造されたと思いきや結局鋳造できずに戻ってきた鐘がほとんどでした。しかし。扱いが雑だったためほとんどの鐘が割れてしまい鳴らせなかったそうです。今でも鳴っている鐘は戦争で使われずにきれいな形で残った奇跡の鐘とでも言うべきものです。「平和の鐘」といわれるのもその由縁です。だから、除夜の鐘は1年の無事を祈ると同時に恒久の平和を願うものなのです。それを無くすならそれは世の流れと思いますが何か大変な落し物をしていないでしょうか?

                      jimyouin * - * 16:26 * - * - * - -
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