足袋の裏

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    2017年2月16日(木) 僧侶大鐵

     

     一休さんは破天荒な禅僧で有名ですが、皆さんどこまでご存知でしょうか?昨年の暮れにNHK『大人の一休さん』が放映されておりました。ほぼ、史実に基づいた作品でした。私が一休さんの話で一番好きなのものが「庄屋の法事」です。

     ある日、一休さんは庄屋さんの法事に呼ばれました。その時の衣が黒色で、お袈裟は木蘭(濃い黄色)色でした。僧侶の基本的な威儀(服装)なのですが、その姿を見た庄屋の主人が「お前は本当に一休さんか?」と言いました。写真の無い当時室町時代では服装で身分が決め手となります。決して庄屋の主人も悪気があったわけではないけれど一休さんのこのような姿を見ただけで代役を使われたと思ったのではないでしょうか?結局、一休さんがいくら自分が一休と言っても信じてもらえなかったので、一度お寺に帰り、金襴のお袈裟に赤い衣を身に付け派手な威儀で再び庄屋さんに参りました。そうしたら、すんなり庄屋の主人は一休さんを控え室に案内しました。呆気にとられた一休さんはお袈裟と衣を脱いで床の間に丁寧に畳んで置き、お拝をして一言「どうやら呼ばれたのは私ではなくてこの衣だったようです。」そして着物姿でお寺に帰っていきました。

     これは人は見かけで判断してはいけないと言う教訓ともう1つ、このような衣があるから自分は認知されると言う敬意と修行不足を認識したのだと思います。だから、衣の尊さに向かってお拝をしたのだと思います。

     ある老僧が法事で信者さんの女性から「今日は有難いお勤めありがとうございました。」言われたそうです。そうしたらこの老僧は「うるさい。・・・・・。」と誹謗したそうです。そしたら、信者さんが「まあ、何てこと言うの。それでもお坊さんですか?不愉快だわ。」と言ったそうです。そうしたら老僧「ふん、そら見ろ。今、有難いと言ったのにもうこれか?人の心はすぐに変わるの。」と言ったそうです。恐らく、この信者さんは老僧自身を有り難いと思ったことは無いのでしょうね。

     私もその機会が無いかなと思いまして、止せばいいのにしてしまったことがあります。ある法事で「有り難いお経ありがとうございます。」と言われました。そしたら私は「どうやら呼ばれたのは私ではなくて、この経本だったようです。」と言って自分の経本を差し上げました。しかし、経本を渡してしまったばかりにまた、新しいものを購入する羽目になってしまい、無意味な出費をしてしまいました。

     ただ、この時から「僧侶とは?」を考えるようになりました。僧侶はお経を読む歌手にあらず、説法をする噺家にあらず、木魚や鐘を鳴らす音楽家にあらず、字を書く書道家にあらず、坐禅瞑想をする心理カウンセラーにあらず、滝に打たれたり、寒い中坐禅するがまん大会出場者にあらず、葬儀を行う葬祭業者にあらず・・・。一体僧侶とは何者なのか?僧侶を判断するものは何でしょうか?これは一生かけての課題だと心得ております。 

     足袋は一見、白くてきれいに見えますが、地面に触れる裏側は汚れております。いくら体裁を整えて表面を良くしても裏が見えてしまえばその印象はガラリと変わります。でも、それは他人の評価。私は他人のために生きているわけではありません。一休さんならこう言うでしょう。「気にしない。気にしない。一休み。一休み。」

     

    jimyouin * - * 11:47 * - * - * - -

    2017年2月9日 本日の担当 僧侶 唯心

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      「自分が死んだ時に、自分の棺の中に、愛するペットの位牌を入れるのは、いけないことでしょうか?」

       

       

       

      火葬するペットさんの棺の中に、前に亡くなったペットの位牌を入れたいという方が、たまにおられます。

      また、これは最近にあったことですが、飼い主さんご自身が亡くなった時に、自分がずっと供養しているペットの位牌を、自分の棺に入れてほしいと周りの人に頼んだところ、大反対されたという方がおられて、どうして駄目なんでしょうかと、ご質問なさいました。

       

      ペット供養の難しいところは、亡くなったペットさんへの思いが深すぎる場合、それが真摯な供養の思いなのか、自分自身の身勝手な思い入れなのかの、区別がつきにくいところです。

       

      もちろん、周りの人の忠告の方が、供養の基本をわかっていない、自己流の考えだったりする場合だって、多々あります。

       

      けれど、この「棺を自分の位牌に入れて良いかどうか」の問題に関しては…

       

       

      位牌というのはあくまでも亡くなった方を仏さまに対するのと同様の比重で以ってお祀りするための、特別な対象物です。

       

      本来、位牌を処分したり、燃やしたりするには撥遣(はっけん)作法と言って、いわゆる精抜き(=お性根抜き)の作法を施す必要があるくらいのものです。

       

      そして位牌に祀られている亡きペットさんは、既に亡くなって仏さまとなって、自分が亡くなるより先に浄土におられる訳ですから、「自分とペットさんが一緒にあの世に行くために、自分の棺にペットの位牌を入れる」というイメージは、矛盾を孕んでいることがわかるでしょう。

       

      こんな話を法話の時にさせて頂いていたら、「じゃあ、自分が亡くなる前に、精抜きを済ませておいた位牌を、自分の棺に入れてもらうのは、構わない訳ですか?」と質問された方がありました。

       

      確かに理屈ではそうなりますね。ただし、あなたがこれらのことを全て踏まえて、供養の意味を理解して、なおかつ現世の人間社会において、様々なしがらみを乗り越えて、それを周りの人たちに納得させて、いろんな手続き事を完了させておいて、そしてそんなに手間を掛けてまで、やっぱり絶対にそうしたい、それは自分の我執やわがままでなく、自分の思いを表すためのかけがえのない唯一の方法だという強い決意があるのなら、「自分の棺にペットの位牌を入れる」ということも、決して間違いではないのかも知れません。

       

       

      慈妙院動物霊園

       

      jimyouin * ペット供養 * 17:40 * - * - * - -

      枕経

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        2017年2月6日(月)僧侶 平野 晃嗣

         

         今年1月5日を遺言の日と日本財団が定めたようですが、僧侶はお正月を迎えると遺偈を作成します。これは所謂、辞世の句と同じものです。人は自分はいつ死ぬのか?死んだらどうしようか?死ぬ前に何かしなければ…。と考える時間が中々ありません。考えたいとも思わない人もいます。でも、年に一回は自分の死について考えてみることも必要です。

         

         2月15日はお釈迦様の命日、涅槃会です。お釈迦様は死ぬ間際に弟子達に遺言を残されました。その遺言の内容は僧侶(仏教徒)としての行いや布教の方法、注意点などを伝えました。決して、死んだらどうなるということは言っておりません。

         

         これはお経になっています。これを『遺教経』と言います。このお経はもし、皆さんの家族の方または自分がお亡くなりになった時、仏教の葬儀をするときまずはじめに枕経を行いますが、その時に枕元で読むお経がそれです。今は医療の関係で死んでから読みますが、本来は死に行く人にお釈迦様の教えを伝え、読み終わった頃に息を引き取っている。最後にお釈迦様の教えを聞いてもらうということです。その後、お通夜を行い、葬儀を行います。この葬儀の儀式は仏教の場合は出家得度する儀式となります。昔は髪の毛を男女問わず剃り、血脈を授け、戒、戒名を授ける儀式を行います。

         

         落語などには死んだ人の髪の毛を剃る話も残っております。

         

         葬儀が終わったら、開蓮忌を行います。お釈迦様の元へ旅立つ準備が始まります。それから7日毎に法事を行います。49日目に満中忌を行い、故人様はお釈迦様の元へ旅立ちます。そしてお釈迦様の元で暮らすのです。

         

         話しは葬儀まで行きましたが、『遺教経』の教えは広く知れ渡った方がいいと思いますが、お釈迦様はこんなことも仰っております。「我は良医の病を知って薬を説くが如し、服すと服せざるとは医の咎に非ず、」これは今後、弟子たちが布教をして行く上で話しを聞いてくれる人も聞いてくれない人もいるが聞いてくれない人のために剝きになる必要はありませんよ。聞いてくれる人に布教しなさい。別にあなたたちのせいではありませんよ。ということです。

         

         私たちはついつい、自分のことが嫌いな人に目を向けることがあります。人の好き嫌いはどうしようもありません。今は嫌いな人にエネルギーを使うなら、自分が本当にすべきことは何かにエネルギーを向けるべきです。

        jimyouin * - * 17:30 * - * - * - -

        君の人生は合格です。

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          2017年1月14日(土) 僧侶 大鐵

           本日は受験生にとって大切なセンター試験の日でございます。私も過去にセンター試験を受けた経験がございます。そのときも今日みたいな雪の天気でした。センター試験の日は雪が振る傾向にあるそうです。皆さん気をつけて受験してください。別に雪に滑ったからといって受験が滑るかどうかの因果関係はありません。どちらかというと雪に滑ったのは受験の替わりに滑ったと思って頂ければ良いと思います。何事もものの見方一つで変わるものです。

           試験中、どうしても普段の実力が発揮できない人がおります。その時、「私本番に弱いので・・・。」が流行語となります。確かに自分の人生がかかった大勝負です。緊張しないほうが不思議なくらいです。この本番とは試験のことですが、自分の人生に本番以外はあるのかな?と思います。本番は生きている今この瞬間です。人生はいつも本番です。休憩中も睡眠も本番です。リハーサルはありません。一期一会どんなときも本番で行いましょう。そうすれば何事にも集中を持って行えます。多分・・・。

           それでは受験生の皆さんどんな結果になっても春には喜んで迎えられるようにしましょう。私は努力した過程を評価します。結果が良いか悪いかは死ぬ間際まで分かりません。

          jimyouin * - * 13:12 * - * - * - -

          無形が変化したこと

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            2017年1月10日(火) 僧侶 大鐵

             

             正月を無事迎えることが出来てホッとしております。最近、正月というと何か寂しい気がします。それは正月の風物詩がなくなったことでございます。

             昔なら正月といえば、

            〔澆弔

            凧揚げ

            F罰擴鵑

            け子板

            ソ饅蕕

            初詣

            Э誉献押璽燹 ,覆匹ありました。

            皆さんはいくつ出来ましたか?

             ・餅つきは最近、食中毒が発生し易いということで減少傾向にあり。

             ・凧揚げは電線の影響で出来ない。そもそも空き地がない。

             独楽回しはボチボチするが室内が多いかも。そもそも空き地がない。公園は出来なくなっている。

             ・書初めは人によってしている。

             ・初詣は皆している。が、作法が分かってない。自分の住まいから今年の恵方の向き(2017年は北北西)の神社にお参りしてください。

             ・人生ゲームは今でも人気ですが、一部機械化している。

             

             

            このままいくと日本の伝統的なお正月の風物詩がなくなってしまいます。皆さんどうしたらいいでしょうか?

             一つの解決方法は人工知能に覚えてもらう。これは日本の後継者不足の伝統産業を守るために今しているそうです。職人さんの動きをデータに取り、コンピューターに保存するそうです。そうすれば伝統産業が失われることは防げます。・・・

             もう一つはユネスコ世界無形文化遺産に登録をする。これをすれば国や国連がとりあえず守ってくれますし、予算も確保できます。

            昨年は日本の祭りが採用されましたし。2001年の能楽から和食、和紙など毎年1つは採用されております。いつかは餅つきや凧揚げ、独楽回し、羽子板なども採用されるかもしれません。しかし、人工知能に見出されないものや世界に認められないものはやはり無くなってしまうのでしょうか?寂しく思います。

             仏教の行事や儀式も例外ではありません。色々なものが変化し簡略され失われております。

             その中でもお墓の形態が非常に変化しました。一家に一基の墓が無くなり、合同墓地やマンション形態に変化しつつありあります。これは経済的な問題もあると思います。合同墓地で同じお墓に入る人同士で偶に集まるそうです。これを同じ墓に入る友達、墓友と言うそうです。

             お墓に関連して最近、死後離婚が流行っているそうです。これは夫の実家に入った連れ合いの妻が夫の家族のお墓に入りたくないということです。お墓までも嫁姑夫と一緒に居たくないということだそうです。気持ちは分かりますが、死んでも尚自分が生きているかのごとく言われることも私には摩訶不思議ですが、これで一番困るのが子、孫、子孫です。お墓を管理するのは残された人です。「維持費のことも考えると決して安くない。」「お墓参りが大変。」という遺族の声も聞こえてきます。いつしか先祖代々の法事や供養も無くなる日が来るかもしれません。

             これは自分の死を操作しようとしている気がしますが、どのように死ぬかは自分では選べません。また逆にどこに生まれるかも自分では選べません。選べるのは生きている今あなたの人生だけなのです。人生の行い1つでその人の誕生も死も善いか悪いかは決まってきます。死後離婚を考える連れ合いの妻もそうですがそれを考えさせられた連れ合いの夫も問題があります。自分の心を上手く磨いていないのではないでしょうか。

             我々僧侶は修行を毎日正しく行うことにより心を磨いております。心がけは目に見えませんが、修行を作法通りに丁寧に行うことは出来ます。それが心を磨くことになるのです。否、修行を行った瞬間にはもう自分の心が磨かれているかもしれません。

            これを『威儀即仏法(いいぎそくぶっぽう)』といいます。威儀とは身だしなみのことです。表面をが整えば心も整うということです。

             皆さんも新年を迎えました。自分の日頃の行いを見直すと共に今年の自分の目標はお決まりでしょうか?是非とも目標が実行出来るよう努力してみて下さい。目標が叶うか叶わないかは2の次です。

            jimyouin * - * 14:35 * - * - * - -

            挨拶の効能

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              平成28年12月30日 僧侶大鐵
              12月に入り、様々な行事がございます。12月8日 成道会・ジョン=レノンの命日・太平洋戦争開戦日 14日 赤穂浪士吉良邸討ち入り(忠臣蔵) 21日 冬至(ゆず湯、カボチャの煮物、いとこ煮) 23日 天皇誕生日 24日・25日 クリスマス 26日 搗餅の日 31日 大晦日(除夜の鐘、年越し蕎麦)
              これらの行事もさることながら、仕事では年末調整、忘年会、家では大掃除、自治会などの総会、年賀状、お歳暮、お正月の準備と世間はどことなく忙しくなります。そうしてこの時期に増えるのが火事と空き巣だそうです。最近、あるテレビ番組でも放映されておりましたが火事で一番多いのがご存知ですか?
              1位 放火11.2% 疑い7.2% 2位 タバコ9.3%、3位 料理8.0%(2015年消防庁)。だそうです。
              火のないところに煙が立つ、この放火犯や空き巣を減らす最も有効な手段が近所のコミュニケーションだそうです。その内容は唯、どんな人にでも挨拶を交わすことだそうです。これなら誰にでも出来そうですね。効能としては犯罪者が街の家を物色しているときに街の人から挨拶されると顔を覚えられたと思い非常に嫌がる傾向にあるそうです。後は挨拶をされると犯罪を起こす気持ちを抑制する効果もあるそうです。ある非行少女が身も心もボロボロになった時、朝すれ違った老婆に挨拶されて生きる勇気が湧いたという話があるそうです。
              しかし、2016年11月4日のニュースで、神戸のとあるマンションの総会で挨拶が禁止と決まったそうです。その理由が小学生の子供を持つ親から、「知らない人に挨拶されたら逃げるように教えているので、マンション内では挨拶をしないよう決めてください。子供には、誰がマンションの人か分からないので教育上困ります。」と言う趣旨の話があり、年配の方から「挨拶をしても挨拶が返ってこなくて気分が悪かったからお互い止めましょう。」ということです。皆さんどう思いますか?私はこの理由はお母さんの気持ちは多少理解出来ます。わが子を思う気持ちがこのような大胆な発言になったと思いますが、教育上のことになると理解は難しいですね。挨拶だけはしてほしいです。その後、見ず知らずの人にはついて行かないという事にすればいいし、挨拶することでマンションの人が一種の監視役にも慣れると思います。挨拶せずにオートロック化したマンションに入っていく子供も怪しく思います。その子供が中学、高校、大学、社会人になっても挨拶せずにマンションに入っていく姿は怪しくないでしょうか?
              「挨拶」は元々仏教用語で、禅問答に於いて、お互いの相手の力量を確かめるために行ったことがこの言葉となりました。「挨」は問答を掛けること。「拶」その問答に答えること。そのやり取りを「一挨一拶」と言いました。そんな状況下で相手に気を向け、また向けさせて心を通わせる手段として今日一般的に交わす挨拶となりました。
              お互いが声を掛けて初めて挨拶となるのですが、やはり、無視されると辛いです。あのマンションの年配者の意見も分からないではありません。しかし、私は以前、知らない人でもすれ違った人には誰でも挨拶しよう運動を勝手にしたことがありますが、大抵の人は取り敢えず挨拶はしてくれます。2割は無視。偶に挨拶してくれてありがとうと言われることもあります。全然挨拶しなかった人も何か月後にやっと挨拶してくれることもありました。だから、例え挨拶が返ってこなくて「挨(あい)」だけになってもそこに愛があればいつか心が通じるのではないでしょうか。
              それでは皆さん良いお年を。新年には「あけましておめでとうございます。」と言える日を楽しみにしております。 終

              jimyouin * - * 13:01 * - * - * - -

              2016年12月27日 僧侶 唯心

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                少し年配のご夫婦からご質問がありました。

                 

                家に祀っているペットのお骨のことですが、お参りするのに向きや方角を気にした方がいいのでしょうか? とのことです。

                 

                その少し前には、若いお母さんがご質問されました。

                 

                四十九日に納骨をしようと思ったら、小学生の娘が、なぜ納骨をしなければいけないの? 一度、納骨したら、どうして取り出せないの? と聞いてきました。

                どうしたらいいでしょうか? とのことでした。

                 

                お骨を長く家に置いていて悪いことはありません。

                もちろん向きや方角を気にする必要は一切ありません。

                大事なのはしっかりとお参りできているか、供養の気持ちがあるかという点です。

                 

                若い方でも年配の方でも、ペットさんにかける思いも心配も等しく変わらないのだと思います。

                だから年齢も環境も違う方たちから、よく似た質問が出てくるのでしょう。

                 

                一方でお寺の答えはいつも同じではありません。

                難しい言葉で対機説法と言うのですが、お一人ずつの思いと状況に応じて、お返しする対応は様々です。

                 

                とは言っても、その要点は先ほど申し上げたように、「しっかりとお参りすること=供養の意味を理解すること」に尽きるのです。

                 

                また来年にかけて、追々にそんなお話をさせていただく事に致します。

                 

                 

                慈妙院動物霊園

                jimyouin * ペット供養 * 11:54 * - * - * - -

                2016年12月25日 僧侶大鐵 

                0

                   『真田丸』大阪の陣

                  12月に入り、下半期のドラマがどんどん最終回を向かえ、寂しい思いをしている。今日この頃です。
                  皆さん今年の大河ドラマ『真田丸』観ましたか?真田信繁(幸村)のあの六文銭旗印は三途の川の渡し賃と同じ額と言われており、いつでも死ぬ気で挑むと言う姿勢が現れております。私も本山に修行に行ったときは涅槃金と呼ばれるものをもって修行に行ったことを思い出します。
                  さて、この真田丸で最期の大坂の陣を観ておりましたら、なぜ、豊臣家が徳川家に負けたのか分かり易く示されておりました。
                  この時、豊臣家の財政は豊臣秀吉の遺産が5625億円あったそうです。大阪城も前は堀で囲まれており、背後は海で物資の輸送が簡単に行え、敵も簡単には囲めない状態でした。兵隊は関が原の戦いで負けて、失業した者達約10万人でした。経済力あり、要塞も堅固、兵隊もプロを集めたのに豊臣家は冬の陣で負けました。
                  一方、徳川家は、財政は5000億円ほどあり、全国の大名が大阪城に集結し約20万人が駆けつけたそうです。
                  豊臣家は財政は徳川家と同じ、大阪城の守りも堅固でなのに滅んでしまった。
                  原因として、私がドラマを観ていて感じたことは豊臣家は人を信頼できなかったことです。要塞が堅固な余りモノにばかり頼りすぎ、人を見ていなかったのではないでしょうか?豊臣秀頼は学識はありましたが人生経験が足りなかったことも要因でしょう。
                  一方、徳川家は人との信頼関係は非常に大切にしてきました。個人の気持ちを把握していたように観えました。恐らく、徳川家康は人の心次第で戦争の勝敗は変わることを経験で分かっていたのでしょう。
                   

                  jimyouin * - * 12:26 * - * - * - -

                  2016年11月29日(火) 僧侶大鐵

                  0

                    Q.老人とは何歳から老人と呼ぶか?

                     

                     A.40歳からです。

                     

                     40歳と言えば、日本人は男性が前厄ですね。「40歳過ぎれば自分の発言に責任を持て。」とリンカーンは仰ったといます。市役所からガン検診が届き、介護保険も支払わなくては成らない。もう年齢の節目が来ております。そう実感しているのは私が40歳になっているからです。体が若いころに比べて思うように動けなくなったのが短所ですが、若いころより落ち着いて判断できるようになったのが長所でもあります。健康だった分、余計にそのように感じます。

                     さて、最近、高齢化が深刻な問題に成っておりますが、高齢化は具体的に何が問題なのでしょうか?皆が長生きするこれは長寿といってすばらしいことなのに、最近、喜べない傾向にありませんか。

                     

                    例えば、・年金需給率が増え、税金の負担が増えた。

                        ・介護に対する問題が増えた。

                        ・高齢者○○、独居老人、老老介護、シニアワークなど老人に何らかの問題を抱えている用語が増えた。

                        ・高齢者の自動車運転による事故

                        ・高齢者が万引き、ストーカー、暴言、暴力などの加害者になる。振り込め詐欺、窃盗などの犯罪被害に遭う。

                     などなど、様々なことが問題になっております。

                     

                     しかし、よくよく、見返し見るとどの世代のも言えることですし、とりわけ、高齢者が・・・と言うことではありません。

                     年金や生活保護が増えても、お金を使えばそこには必ず税金が発生します。直接は支払ってなくても間接的に税金は支払ってます。目に見えるものとして消費税は立派な税金です。この消費税の使い道は社会保障財源となり、年金、医療、介護、子育て支援に回されるのです(多分?)。だから、別に生活保護費をもらっている人は無駄に使っているわけではないのです(多分?)。

                     

                     介護の問題も長生きをするため必要ですし、年を取るということは身体が衰える→身体が弱る→障がい者となる、ということにも繋がり、バリアフリー化の一助となることもありますよ。バリアフリー化は科学技術の発展でもあります。戦争兵器を作る技術があるならその技術を要介護の方々のために使ってほしいです。人間として生きている限り健康な皆さんもいつかは要介護になる日も来ますよ。そうなったときに町や家がバリアフリー化していたらどんなに素敵なことだと思いますか?皆さん本当に現実を見てください。明日は我が身なのです。と同時に高齢化しても自分の身は自分で守らなくてはなりません。老人の孤独化はこれからはますます増えるでしょう。自分が高齢者の親のを邪険に扱うとそれを見ていた子があなたと同じことをするでしょう。自分も老人になると同じことをされるでしょう。だから、離れて暮らしても一緒に暮らしても決して大切にする気持ちを失っては成らないのです。

                     

                     高齢者の自動車の事故は運転が下手な人は免許を返戻するなり、車を取り上げるなりすればいいですが、上手い人は別に検査に引っかからなかったらいいのではないでしょうか?若者の「○○しながら」運転の方が余程恐れるべきです。この事故も高齢者の事故と同じくらい多いですが若者は免許返戻はありませんね。特定の機械の返戻もありませんね。

                     

                     犯罪に関してはなぜいつも特定の世代、民族、性別、趣味、環境、職業、宗教などに原因を求めるのか?疑問です。個人それぞれの事情があるはずなのに一つの輪に括ってしまいます。許しがたいですね。

                    jimyouin * - * 15:08 * - * - * - -

                    2016年11月14日 本日の担当 僧侶 唯心

                    0

                      このブログが始まった頃に、動物の出てくる童話というテーマで何度か記事を書かせていただきましたが、いくら探しみても昔の記事が出てこなくて、どんな作品を紹介させてもらったか、残念ながらあんまり覚えておりません。

                       

                      「ごんぎつね」や「手袋を買いに」、「牛をつないだ椿の木」など、動物が出て来る名作童話をたくさん残した新美南吉のことは書かせていただいたと思います。「ごんぎつね」は名作とされていてファンも多いのですが、動物と人間の心がかみ合わなくて、ちょっとつらい話です。

                       

                      さて、慈妙院動物霊園は愛知県の春日井市にありますが、南吉の記念館は愛知県の知多半島にあります。

                      記念館を入ってすぐの階段を降りたところに生きているかのような南吉の像があり、来館者を驚かせてくれますが、その傍らに南吉の「墓碑銘」と呼ばれる詩が刻んであります。

                       この石の上を過ぎる
                       小鳥たちよ
                       しばしここに翼をやすめよ

                      南吉の生き物への思いが、よくわかる詩です。


                       

                      慈妙院動物霊園

                      jimyouin * お寺の日常 * 14:13 * - * - * - -
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