亡くなったペットへのお供え

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    慈妙院動物霊園では、亡くなったペットさんの棺に入れるお花をご用意できなかった方のために、「散華」というものをご用意いたしております。

     

    花びらの形をかたどった紙に仏さまの絵を描いた、仏事に使う道具ですが、それをお花代わりに入れていただけるように、10枚一組でご用意をしております。

     

    先日、お子様づれの若いご家族がお葬式に来られて、この散華を頼まれました。

    受付を終えたスタッフの方が、僧侶の控え所に戻ってきて、施主さまが散華を頼まれたことを伝えてくれたので、「はい、分かりました」と答えました。

     

    「お子様が散華を頼まれました」とのことなので、「ああ、そうですか」と答えました。

     

    そうしたらスタッフの方が、「お子様が、ご自分でお小遣いを出して、ご自分で散華を頼まれました」とさらに畳みかけて言ってくれたので、ああ、それならば、大人のどんな供養に勝るとも劣らない、大きな功徳だなあと思いました。

     

    皆さまのどんな思いも行いも、亡くなったペットさんのためにすることは、どれも大事な供養です。

     

    慈妙院動物霊園

     

    jimyouin * ペット供養 * 15:29 * - * - * - -

    ペットへの後悔

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      ペットさんのお葬式に来られた方が、「自分の飼い方が悪かったせいで、ペットの寿命を縮めたかも知れない」と後悔されて、お寺に質問して来られました。

       

      その飼い方が物理的にどうであり、それが正しかったか良くなかったということは、仏教的に言って、実は重要な事ではありません。

      お寺の考えでは、一切の後悔は不要です。

      もっと他にも、ペットが亡くなる前にこうすれば良かった、ああしなければ良かったと思うことはたくさんあるかも知れません。

      しかし、一切の後悔は不要です。

       

      仏教において、既にしてしまった良くないことは今後しないように務める、既にした良いことはまたするように務める、ということは大事ですが、既にしてしまった行為に対して、ああでもない、こうでもないとあれこれ考えることは、考えが堂々巡りするばかりで、供養にとっては大きな妨げとなります。

       

      それよりも今からできる良い行いを、これからは重ねる努力をしてみましょう。亡くなったペットさんについて言うならば、例えば様々な形で供養やお参りをしてあげるのも「良い行い」です。

       

      そうして供養を続け、自分の心が少し落ち着き、ペットの成仏を実感できるようになった時に、最初の頃の後悔が、さほど重要な事ではなく、自分の心が作り上げていた苦しみに過ぎないことが分かってきます。一切の後悔が不要だというのは、そういう意味です。

       

      慈妙院動物霊園

      jimyouin * ペット供養 * 14:26 * - * - * - -

      インターネットで申し込める慈妙院動物霊園の日々供養

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        アメリカやインドでは、インターネットを通じてドネーション(お布施や寄付)をすることが珍しくありませんが、日本人の方には少し違和感があると思います。日本でもいわゆるバーチャル納骨堂的なサービスの提供がニュースになったりしますが、皆さまはどう思われるでしょうか?

         

        慈妙院動物霊園には、スマートフォンやパソコンなどからペットさんの供養を申し込める「日々供養」があります。

        これにはお布施や費用が要りませんが、いくつかこちらの決まり事を必ず守って頂く必要があります。

        それと、これはあくまでインターネットを通じてのサービスであり、お電話などで、ペット名を読み上げておいてほしいという依頼を受けることは出来ません。

        規定のフォームから送信して頂くと、お寺では決まった時間で区切って皆様の依頼を取りまとめ、それを一枚のシートに印刷して朝のお勤めで僧侶が回向いたします。誰でも参加できるお昼の勤行と違って、朝の勤行は皆さまが参加することは出来ません。

         

        インターネットを通じてとは言え、供養される施主の皆さまがペットさんの名前を送信される時には、やはりペットさんへの深い思いがそこに込められていると思います。

        それに対してお寺側が返信し、ペット名の読み上げシートを印刷すると言っても、これは機械的に簡単に出来ることではなく、こちらのお寺の専門知識を持つスタッフが独自のシステムを編み出していればこそ、可能なのだそうです。

        そしてその読み上げシートを、毎日、担当の僧侶が実際に本堂でお経を上げて読み上げることで、供養と回向が完成します。

        デジタルであれ、アナログであれ、人が心を以て構築すればこそ、意味のある形が成立するのであって、それを供養と言い、回向と呼ぶのです。

        どうぞ、思いのある方は、慈妙院のペット供養にご縁を持って頂ければと思います。

        jimyouin * ペット供養 * 17:20 * - * - * - -

        猫の心

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          「タコの心身問題」(みすず書房)という本が話題です。以前も「イカの心を探る」(NHKブックス)という本を紹介しましたが、人類以外の生き物の心について考えることは興味深いテーマです。

           

          慈妙院にも猫の心に詳しいスタッフの方がおられますが。さて、先日から何度も、慈妙院の境内にいる猫たちがくつろいでいたりスタッフと一緒に居たり、お参りの人たちと遊んでいる時に、私の足音が猫を驚かせることがありました。

           

          ちょうど12月で、師走というのはお坊さんが走るほど忙しい月だけれど、お坊さんは本来走るものではないという話を、お昼の法話でさせて頂くことが多いのに、これは修行の落ち着きが足りない証拠だと気づかせてもらった次第です。

          jimyouin * お寺の日常 * 12:19 * - * - * - -

          12月8日は成道会です

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            2018年12月7日 本日の担当 僧侶 唯心

             

             

            ペットのお葬式をされた方が、翌日にもう一度訪ねて来られて、昨日のうちのペットが生き返ってませんでしょうか? と仰いました。

             

            お気持ちは重々よくわかります。

            この悲しい出来事が、何かの間違いであればと思う、そのお気持ちは、痛いほど、よくわかります。

             

            明日12月8日は成道会(じょうどうえ)と言って、お釈迦さまが悟りを開かれた日です。

            さて、お釈迦さまの時代のインドの話です。キサー・ゴータミーという名の、自分の幼い子供を亡くした女性がいました。
            半狂乱になった彼女は、お釈迦さまが本当に偉い方なら、どうか自分の子どもを生き返らせてくれと言ったそうです。

            するとお釈迦さまは、では生き返らせてあげよう、そのために薬を作ろう、その薬はケシの実から作ろう、もしもお前が死者を一人も出したことのない家からケシの実をもらってくることが出来たなら、子どもを生き返らせるための薬を作ろうと答えたそうです。

            ゴータミーは必死になってケシの実を探しましたが、死者を出したことのない家は一軒もなく、そして遂に彼女は、葬式を出したことのない家はひとつもない、すべての生き物は必ずいつかは亡くなるのだという、単純だけれども動かしがたい真理を、たちまちの内に了解して、お釈迦さまの弟子になり、後々は立派な長老の尼僧になったということです。

             

            とは言うものの、お釈迦さまも最愛のお弟子に先立たれた時は、ずいぶん悲しまれたということです。

            ただ、悲しいけれど、そこから前に進む方法があるのだということを説いてくださったのが、お釈迦さまの教えです。

             

            仏教寺院である慈妙院でペットさんのお葬式を挙げてくださったことは、皆さまの何よりのご法縁だと思います。

            どうぞ、いつでもお気軽にお参りに来てくださいね。

             

             

             

            慈妙院動物霊園

            jimyouin * お寺の日常 * 11:46 * - * - * - -

            亡くなったペットに供えた食べ物を、自分で処分しても良いですか?

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              2018年11月9日 僧侶 唯心

               

              亡くなったペットさんのお骨や位牌をお家で祀っておられた方が、四十九日の法要に来られた時に、お供えしていたペットフードや食べ物を、どうやって処分すれば良いかとお尋ねになりました。

              ご先祖様や人間の仏壇なら、お下がりとして自分たちで食べたりすることもできますが、ペットフードの場合なら、さて?

               

              他のペットさんに差し上げて食べてもらうという方法が、全ての方に可能であるとも限りませんし、また、かと言って、ゴミのように捨てるのも忍びないということで、その方は、慈妙院で「遺品供養」(お志し程度のお布施で預かって供養させて頂いた後、焚き上げる、もしくは品物の材質によっては処分)する、という方法を選ばれました。

               

              ただ、今後もそうしてお供えを続ける場合、毎度「遺品供養」にしなくても、今回は四十九日できっちりとお寺を通して供養を頼んで頂いたことですし、今後はお供え物に感謝の気持ちを込めて、ご自身で処分されるのも方法の一つですよと、申し上げておきました。

               

               

              慈妙院動物霊園

              0120-52-1059

               

              jimyouin * ペット供養 * 11:30 * - * - * - -

              猫の隣り

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                2018年10月26日 僧侶 唯心

                 

                ペットさんの葬儀の後に、四十九日までの白木位牌をを位牌壇に安置してください、前の方の位牌の隣りに並べてくださいねと、喪主さんに申し上げたら、その方がハッと息を呑んで身を引かれました。

                前の方は猫を亡くされた方だったので、位牌に猫と書いてありました。

                喪主さんが、うちの犬は猫が怖くていつも怯えていました、どこか他の場所に安置できないでしょうかと仰るので、仏さまの世界では恐怖も争いもありません、どなたも四十九日までは仮の仏さま、四十九日過ぎたら正式な仏さまで、共に慈悲を学び修行する仲間ですからご安心頂いて大丈夫ですよと申し上げて、そのまま隣にご安置いただいたら、了解なさった喪主さんが、しっかりと心を込めてお参りしてくださいました。 

                 

                慈妙院動物霊園

                jimyouin * 四十九日供養 * 16:53 * - * - * - -

                行方不明になったペットさんについての後日談

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                  2018年10月10日 僧侶 唯心

                   

                  先日に書かせて頂いた記事の補足です。

                  行方不明になったペットさんのことを、もうおそらく生きておられないと考えて、供養の法要をできないかというご相談が、たまたま相次いだので、慈妙院に出仕される他のご僧侶方のご意見を仰いでみたところ、

                  ・言われた通りにお経を読めば良い。

                  ・生存安全祈願として法要を務めるべきだ。

                  ・本来、動物は人間と違い、臨終に際して姿を隠すもの。人間の場合の同じような状況とは別に考えて、亡くなったものとしての追善供養をしても良いのではないか? 但し、四十九日以降に、とすれば、仏教の教えにも適うのでは?

                  ・般若心経を上げれば良いのでは?

                  ・観音経を上げる。この世でもあの世でも観音さまは我ら衆生を救って下さると観音経に書いてあるから、ペットさんが生きていても亡くなっていても、観世音菩薩の慈悲に預かるために、観音経を上げる。などの意見がありました。

                  結局、四十九日を過ぎてもペットさんの行方が分からないままだったら、亡くなったものとしての追善供養を受けさせて頂くことにしよう、ということにになりました。

                   

                  その後、ペットさんが行方不明になって2日目くらいに、追善供養の依頼をなさった方がありました。

                  きっと2日間であっても、その間のご心配は、筆舌に尽くせないほどの苦しみ悩みだったかも知れません。

                  それでも四十九日間は待ってあげましょう。

                  待つことも、ペットさんと縁のあった私たちの、務めなのかも知れません。

                   

                                                            合掌

                   

                  慈妙院動物霊園

                  jimyouin * ペット供養 * 11:25 * - * - * - -

                  スポーツをしていれば純情か?

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                    平成30年9月28日㈮ 僧侶大鐵

                     スポーツの秋といわれ、ここ最近、スポーツの大会も多く行われております。アジア大会では目覚ましい活躍を魅せた選手も沢山いました。同時にスポーツの問題も頻繁に報道で報じられている。その際、よく耳にするのが「スポーツ選手は純粋だから嘘がない。彼らは直向きに練習してきたから、彼らは悪くない。」私は非常に違和感を感じます。スポーツ選手はというかスポーツが上手い人は常に運動が苦手な人、運動音痴に対して馬鹿にし時には見下し、時にはいじめてきた。「何で出来ないの?」「努力が足りないんだよ。」「へたくそ。」こんな言葉で苦手な人を罵倒してきた。決してみんながみんなそうでもない。自分の世界にひた走る周りの見えないスポーツ選手もいる。

                     「こんな偏見よく言えるね。」と言われそうだが、実体験に基づいたことである。だからこの偏見は中々ぬぐえない。コーチに体罰を受けた。指導者からパワハラを受けたと被害者として報道がなされる度に「運動の苦手な人にどんだけひどいことを君らはしてきたか考えたことはあるか?」と言いたくなる。

                     体育の教師や部活の顧問もただ競技をするばかりで基本や運動の楽しさはほとんど教えず、ただ、運動神経のいい人や努力家ばかりに単位を上げている。体育に限ったことではありませんが・・・。

                     このように私は学生時代に運動に並々ならぬ憎しみがあり、運動が嫌いな時期が続きました。しかし、最近、短期間で足が速くなる。短期間で逆上がりができる。などの本を読み実際に行うといとも簡単に出来た。ある本のあとがきに「運動音痴はいない。教え方が悪いだけ、指導音痴がいるだけだ。」「運動の出来ない人にもっと寄り添って、教えるべきだ。」と書かれていて非常に感動しました。人間誰しもどんなことでも出来ないより、出来た方がより良いです。出来ないことは諦めて、自分の得意分野に徹するべきと言う人もいるが、そんなに人は得意分野を持っているわけではないし、得意になるまで極めようとは思わない。人並みにできればいいかなと思う人が多いと思います。ある程度できれば、次は他の事をしてみる。これを人は挑戦と呼ぶことでしょう。

                     これからは極めることに重きを置かず、どんなことでも挑戦できる機会を増やす社会であってほしいです。

                    jimyouin * - * 15:19 * - * - * - -

                    行方不明になったペットの追善供養をすべきですか?

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                      2018年9月14日 僧侶 唯心

                       

                      以前から時々あるご依頼なのですが、行方不明になったペットさんのことを、もうおそらく生きておられないと考えて、供養の法要をできないかというご相談が、たまたまこのところ相次ぎました。

                       

                      人間でも災害時などに行方不明になられた方を、亡くなったものとして供養するご葬儀や法要がないこともありませんが、その場合ですら私は多少の違和感を感じます。

                      もし万が一生きておられたら、例えば極楽往生すべく回向させて頂いた読経や法要の内容が、まるで無駄であったり、空虚なものであったりということにならないでしょうか?

                       

                      そこで私は、慈妙院に出仕される他のご僧侶方のご意見を仰いでみました。

                      ・施主の心に安心を与えるのが法要というものの趣旨だから、言われた通りにお経を読めば良い。

                      ・いや、それれはおかしい。生存安全祈願として法要を務めるべきだ。

                      という、二通りの意見を予想していましたが…

                       

                      大鐵和尚は、「本来、動物は人間と違い、臨終に際して姿を隠すもの。人間の場合の同じような状況とは別に考えて、亡くなったものとしての追善供養をしても良いのではないか? 但し、四十九日以降に、とすれば、仏教の教えにも適うのでは?」とのこと。

                       

                      龍叡和尚は、「般若心経を上げれば良いのでは?」と即答されました。

                       

                      私も例えば観音経を上げて、ペットさんが生きていても亡くなっていても、観世音菩薩の慈悲にすがる、即ちこの世でもあの世でも観音さまは我ら衆生を救って下さると、観音経に書いてあるのだから、と考えておりました。

                       

                      各ご僧侶方のご意見も参考にしつつ、ご法務に当たらせて頂きたく思います。

                       

                                                                合掌

                       

                       

                       

                       

                       

                      jimyouin * ペット供養 * 11:58 * - * - * - -
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