切実な問題

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    2017年7月21日(金) 僧侶 大鐵

     

     7月初旬に豪雨があり、九州、島根、小牧市と甚大なる被害がありました。さぞ辛いことだったでしょう。どうかこの困難を乗り越えられ、皆様が1日でも早く平穏な生活に戻れるよう心からお祈りしております。しかし、いつ自分の身に降りかかるかも知れません。今のうちに対策を考えておいてください。

     先日、大山のぶ代の夫、砂川啓介さんがお亡くなりになりました。ここには現代に抱える切実な話が隠れております。2人のお子様は幼いころ亡くされており、夫婦2人で暮らしてきました。大山のぶ代さんが認知症を患ったときも夫の砂川さんが介護をしてきたそうです。これが今、問題になっている老老介護の現実です。砂川さんは癌が発覚したときは流石に介護が出来ずに介護施設に大山のぶ代さんを入居させたそうです。

     このほどお亡くなりになったとき、誰が葬儀の喪主や施主を務めるのか?お骨はどうなるのか?お墓の管理は誰が行うのか?色々な問題を孕んでおります。これはいつしか所謂、無縁仏となってしまうのではないかという不安もあります。

     昨今、無縁仏は切実な問題となっております。大阪市では9人1人が無縁仏では無いかと言われております。縁、縁起とは決して血縁だけが縁起ではありません。友達や職場の仲間、趣味の仲間、今では墓友と呼ばれる合同墓地

    まであります。無縁にならない形は様々です。

     私は大丈夫と思っているかも知れませんが、毎年どこかで・大災害が起き、

     ・単身者の増加

    ・1人っ子、一人親、核家族化で親戚付き合いもない状態。

    このような問題もある以上自分は大丈夫でも親類縁者が亡くなったとき、身元引受人として連絡が来るかもしれません。そのときあなたは拒否しますか?

     このお寺も最近、葬儀をしてもお骨を取りに来ない。納骨堂や位牌、お墓の管理をせずに解約する人が増えております。それらの申し込みをされてそれで終わっている人も多いのです。もし自分の身に何かあっても大丈夫なように代理人や後継者をお願いしておかないとこれらのペットの納骨やお墓まで無縁になってしまいます。

     

    jimyouin * 大鐵 * 16:19 * - * - * - -

    花に命があってね

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      2017年7月13日 僧侶 大鐵

       6月といえば6月の花嫁ですね。この月に結婚した夫婦は幸せになれると実しやかに語られます。これはどうも欧米の文化らしく、6月はイースター祭の盛んな時期に結婚するのは縁起がよいとのことで広まったらしいです。しかも6月は欧米では晴天が多いため行事も延期にならずに行えるらしいです。

       しかし、日本では逆に雨季に入り、梅雨の時期で余り結婚という気分ではなく結婚式が一番少ない時期だったそうです。しかし、ホテルが欧米ではこの時期に結婚すると縁起が良いことを売り込むといつの間にか今のように6月の花嫁は幸せになれるといわれるようになったらしいです。

       私が先日、友人の結婚式に行ったとき、気になることがありました。式場に飾られた沢山の花これらは過剰ともいえる演出でした。この式が終わった後、この花は一体どうなるだろうと思いましたが、参加者にほぼ配られ、私も受け取りました。

       しかし、よく考えると儀式の際、花は付き物で冠婚葬祭すべてに花束や花飾りが添えられます。結婚式などおめでたい行事は皆幸運を分け合うように花を持って帰る人が多いですが、葬儀などの不幸があったときの行事の花は持ち帰ることを憚る人が多いのも事実です。花は花なのになぜかこのようなことがおきます。花に冠婚葬祭は関係なく咲きます。そこに感情を入れるのは我々人間なのです。

       命の大きさは人間も動物も虫も植物も変わりありません。生きている理由も他の都合ではなく自分の生命のため、種の保存のため生きているのです。恐らく、あなたもそうですし、私もそうです。自分の生命を維持するため、種を保存するため、時には他の命を頂き、危害を加える生き物を殺めたりするのです。花にも命があるのですから、必要以上にお供えするのは勿体無いとか色々な感情を入れてしまいます。この流れを止めることは出来ませんが、是非とも知ってほしいのが花は命がけであなた達のお祝いや悲しみを祈っているということを。そのことを思えば自分たちの人生を無駄に出来ますか?日々考えて真剣に1日否、1時間、1分、1秒を過ごしてください。

       冠婚葬祭で花をお供えするのは様々な意味合いがあるそうです。特に葬儀やお墓にお供えするのはなぜかそれは皆さんで考えてみてください。

      jimyouin * 大鐵 * 13:07 * - * - * - -

      イベント僧侶

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        2017年6月28日(水) 僧侶 大鐵

         私は先日布教師の総会で地域の中で寺院はどう関わっていくべきかということをテーマに分散会をしましたところ、8割の僧侶が寺院でイベントを開いていると答えました。私自身過去にも色々とイベントを開いたり、計画したこともありますが、宣伝方法が未熟で参加者が集まらなかったこともあり、労力と資金面であまりにも負担が多いため余りイベントを重要視しなくなりました。成功したときはすごいよく見えるイベントですが、中身は本当に布教なのか、敷居を下げるためといいますが、イベントのときはお寺に来るがその後普段のときにふらふらと来るようになったか?はなはだ疑問です。現状は全く変わらないのにイベントだけしてその気になっているのは疑問視されます。

         イベントはできる寺院とできない寺院の差が激しすぎます。そうではなくて、もう少し僧侶としての慈悲の実践を行うべきと思います。お寺で困っている人が来るのを待つくらいなら、いっそうのこと「お寺を捨てよ。街に出よ。」の精神で寺院から離れてみることも大切です。自分個人の力がどの程度発揮できるかを試すことも必要なことです。海外に行き、初めて日本の良さがわかるようにもっと僧侶は外に出て、様々な人とかかわるべきです。

         私はイベントは否定しません。自分の力量に合う程度すべきと思いますが、以前手伝ったイベントで食べ物を平気で捨てたり、参加者の意見として「なぜ子供がいるんだ」とか「なぜ椅子がないんだ」とかそんなことを聞くと仏教本来の教えから遠くになってしまいそうで、逆に布教ではなくなりそうで本来の目的には沿ってないと思います。結局手に負えない化け物を作り出してしまいますので、僧侶側はそのような想定できることを対策することはもちろんのこと、参加者も寺院でのイベントに参加する際は仏教のことを勉強して参加してください。

        jimyouin * 大鐵 * 09:55 * - * - * - -

        2016年10月6日   本日の担当 僧侶大鐵

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          「違いを認めて上げて下さい」

           

          先月、9月11日に9.11のテロが15年目を迎えました。

          9月17日夜8:30(日本時間18日朝9:30)にニューヨークで爆破事件が起こり、負傷者29名だったそうです。

           犯人はイスラム関係らしいですが、宗教が違うことでこれほど恐れられてしまう。純粋に信仰している人々もいるのにこんな誤解が生じるのに私は残念でなりません。

           今、世界各地で内戦が起きてます日本も関係ないとは言い切れません。戦争で難民となった人々が安全な国を求めて受け入れ先を探しております。日本も受け入れる方向で進めております。そうなるとやはり、様々な宗教が入ってきます。そのときに私たちは無関心、興味ないでは済まされません。宗教で食べていけない食品もあります。一日の流れが決まっている宗教もあります。私たちはそれを見た時、どう思いますか?その宗教の尊厳を認められますか?否定的に見ますか?肯定的に見ますか?

           信仰は誰にも止めることは出来ませんが、宗教の違いで否定したり、傷つけたり、さらに争いまで発展することに私は悲しみを隠せません。信仰を持っているもの同士の悩みは宗教は違えども同じだと思います。そこはお互い尊敬し合ってもよいと思います。特定の信仰を持たない人も相手の気持ちを知ることは非常に大切です。そのことを理解すれば、宗教の違いはそれ程苦にはならないはずです。

           これを機に宗教について今一度学び返してみては如何でしょうか?

          jimyouin * 大鐵 * 15:16 * - * - * - -

          坐禅のヨウジュツなり

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            2016年2月4日(木)立春 僧侶大鐵

             2月1日〜8日まで永平寺では摂心があります。これは2月15日がお釈迦様の命日、いわゆる、涅槃会だからです。永平寺の坐禅は40分坐り、5分ゆっくり歩くことで1セットとなります。
            一般的に坐禅をすると心が落ち着くとか、集中力が増すとか言われておりますが、実際はそうではありません。私は修行を始めたころは非常に辛かったのを覚えております。只足が痛い、眠いの連続でした。
            しかし、この気持ちをずっと持ち続けたわけではありません。2,3年か経つとどうにかして坐禅から逃げようと考えます。仮病を使ったこともあります。
            4年目になるとどうにか坐禅にも慣れて、ふっと辺りを見回した時、大勢の中で自分が座っているのが分かりました。こんなに大勢の修行僧がいるのに静かである。これはすごく素晴らしいことではないでしょうか。
            坐禅は足の痛みや眠気を除けば難しいことはありません。それからというもの自分の坐禅を観ようと思うようになりました。今自分は何をしているのか?何を考えているのか?どうしたいのか?などなど。そのことを考えているうちに考えいることが無くなり、坐禅が終了します。この状態が一番人生でリラックスした状態だと思いました。
            これを敢えて難しい言葉に置き換えると「非思量」と言います。
            このような状態になった時、物事が許せるようになります。怒りより、同情が湧き、同情より、受容(受け入れること)が身に付きます。永平寺を下りてからは1日5分坐禅をしております。坐禅できないときは椅子に座り坐禅を行います。これも椅子坐禅という立派な坐禅です。皆様も坐禅してみませんか?
            jimyouin * 大鐵 * 10:26 * - * - * - -

            厄にはなりたくない

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              僧侶 ダイテツ
              皆さん、私は今年前厄です。数えで今年41歳になります。よく、「人は40過ぎると自分の顔に自信を持て。」と言われますが、社会的に色々な責任ある仕事が回ってくる年齢だと思います。その分、今まで以上の重圧感が厄となって現れるかもしれませんね。
              ところで、この厄年調べてみると意外に面白い。
               本厄の年齢は、
              |棒の25は5×5=25、後後二重後ととりなして死後のこと
              男性の42は4・2と続くから死(しに)にとりなして忌むという。
              女性の19は重苦。
              そ性の33は3・3と重なるから散々となる。
              ソ性に30代の厄年が多いのは恐らく、出産の適齢期が影響しているかもしれません。昔はこの年で出産することは非常に危険が伴っているからだと思います。今は医学が発達して以前ほど出産に危険が伴う事が減ったと思います。
              Δ匹舛蕕61歳で還暦を過ぎると老人だからより注意しないといけない。
               よく、ある薬のCMで「東洋医学の教科書ともいえる文献『黄帝内経(こうていだいけい)』には、「女性は7の倍数」「男性は8の倍数」の年齢の時に節目を迎え、体に変化が訪れるという記述があります。」ということも関係あるかもしれません。一度皆さんも調べてみると面白いですよ。
              日本人は厄年になると厄祓いをしますが、厄祓いをするなら、正月から節分の間に行って下さい。
              でも、本当に厄年というものはあるのでしょうか。芸能人、特に俳優、女優さんは厄祓いをしません。それはドラマや舞台の役まで払ってしまうからです。いわゆるゲン担ぎですね。皆さんはそれでいいのかなあ。と思ってしまいませんか?不安な方は神社や寺院で厄祓いしてもいいと思います。別に良い悪いはありません。それで自分が今年度、安心して暮らせるならいいと思います。
              私が永平寺の修行を終えて、帰ってくるときはこんなに厳しい修行をしたのだから、これからは皆から尊敬され良いことがいっぱい待っていると思いましたが、思ったより、良いことが起きなかったです。逆に嫌味を言われたことの方が多かったです。ある日、地元の講演会行ったとき、講演会が終わり、職員さんが椅子を片付けているのを見て、自分も椅子を片付けようと思わず手が出てしまいました。それは永平寺の修行で皆で作業をすることが多かったからです。そのとき、参加者の何人かは一緒になって椅子を片付けておりました。これは良いことか悪いことかそんなことはどうでもよい。ここで、「自分が椅子を片付けなくてはいけないなあ。」という気持ちが起こったのは修行の成果と思ったし、その行為が他人に影響を与えたのが何よりも素直に良かったと思えたのが5年経った今でも記憶に残っております。
              何かあると世の中や他人のせいにするのは簡単です。ただ、自分にとって都合の悪いことは本当に悪いことなのか?自分にとって良いことは本当に良いことか?そこは自分で考えて、悩んで頂きたいと思います。その答えが見つかり、物事の良し悪しを超えることが出来たなら、本当の厄祓いが出来るかもしれませんね。
               
              jimyouin * 大鐵 * 09:57 * - * - * - -

              2015年 1月10日 僧侶 大鐵

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                て・ん・ぞ

                最近、NHKの番組で「趣味DO楽〜お寺のごはん〜」を放映されております。ご覧になった方も見えると思います。第1回は曹洞宗の修行で小食(朝食)で摂っているお粥を取り上げました。
                曹洞宗の修行の時はほぼ毎日、応量器という食器を使っております。その作法は細かくて覚えるのに早い人でも一ヶ月はかかります。食事を作る人も大変で私の頃は300人修行僧がいましたので、ご飯を炊くのも一苦労だった思います。食事を作る人を典座(てんぞ)といいます。今で言うところのコックさんや料理長、調理場という意味になります。修行道場を統括する重要な役職を知事と言いますがそれは6人おりまして、これを「六知事」といいます。

                ★六知事
                都寺    ⇒お寺を統括する。今では監寺が兼任している。
                監寺(監院)⇒事務を統括する。
                副寺    ⇒財務を管理する。
                典座    ⇒食料の管理、食事を統括する。
                維那    ⇒修行僧の統括する。
                直歳    ⇒建物の管理、火防を統括する。
                曹洞宗では道元禅師様が『典座教訓』という、調理担当の心得をお示しになりました。ですので、最も尊い役職でもあります。
                今回はその一部を紹介します。
                「之を護惜すること眼睛の如くせよ。」(訳:食材を扱うときは眼(まなこ)のようにしなさい)。
                要はmモノを大切にしなさいという教えです。これは仕事や生活をする上で基本となるのではないでしょうか?

                続きはまた後日。
                 
                jimyouin * 大鐵 * 16:49 * - * - * - -

                2014年9月25日   本日の担当 僧侶 大鐵

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                  自分探しの旅は必要ですか?


                  本日は『明珠(みょうじゅ)』についてお話します。
                  元々、『明珠(みょうじゅ)』とは高価な宝石のことです。中国の昔話にある貧乏な青年がいました。どんなに働いても生活が一向に良くならない。このままでは家族もろとも飢え死にしてしまう。そのような時に金持ちの友達が心配して訪ねて来ました。しかし、素直にお金を渡しても断るだろうと踏んだ金持ちの友達は、『明珠(みょうじゅ)』を何時も着ている服の胸のところに縫い付けました。しかし、一向にそのことに気づかないで働きに出てしまう。いよいよ、生活に困った時に金持ちの友達がその『明珠(みょうじゅ)』について教えたと言う話でございます。自分の長所、大切なものというものは自分では中々気づかない。大切なものは意外に近くにあるものである。という意味である。
                   これは僧侶が悟りを得る時によく使われます。(続く)
                   
                  jimyouin * 大鐵 * 17:28 * - * - * - -

                  2014年 5月21日(水) 僧侶 大鐵

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                     縁の調味料

                     「縁は異なもの。味なもの。袖触れ合うも他生の縁。躓く石にも縁の端くれ。独活が刺身のつまになる・・・。」落語を聴いているとこんなフレーズが聞こえてきますが、今回は縁について話したいと思います。
                     縁といいますと男女の縁といいまして、男女の出会いで使われたり、縁が合った無かったと物事の良し悪しで使われたりしますが、元々は仏教の言葉「縁起(えんぎ)」が略されて「縁」となりました。お釈迦様は「此があれば彼があり、此がなければ彼がない、此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す」と仰っております。難しいかもしれませんが、花の種を植えたら、花が咲くわけではありません。種を植えてから、水を遣り、日光を浴び、栄養を与え、芽が出て、大きくなり、蕾が付き、花が咲く。この一連の過程が縁なのです。どれが欠けても上手くいきません。私たちも生きていくうえでは縁は欠かせません。
                     私は4月に夜桜を見に連れ合いと一緒に近くの河川敷に行きました。ここは夜店が並んでおり、人ごみで溢れ返っていました。その中で、ベビーカステラが行列をなしておりまして、私たちも並んで待っていました。そこの店員さんは若い男性で女性客には非常に優しく愛嬌よく接していました。いざ私の番になると後から並んでいた女性客に対応し、私の番になったら、投げやりな態度でベビーカステラを私に渡しました。私は腹が立ち、その時食べたベビーカステラは非常においしくありませんでした。その時、私は思いました。ものの味は如何に美味しく作ろうとも感情次第で美味しくともまずくともなる。店員の態度もさることながら私の感情も良くなかったなと自分勝手に反省をし、私も他人に対して同じことをしては居ないだろうかと思い返したりもしました。縁次第で食べ物を美味しくともまずくともする。縁は調味料と同じと思いました。
                    jimyouin * 大鐵 * 17:44 * comments(0) * - * - -

                    坐禅はしてみるもんだ。

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                       皆さん、5月に入りますと永平寺の修行僧は外出せず、外部との連絡を一切絶ち、本格的な修行生活に入ります。これを結制(けっせい)と言います。他にも禁足(きんそく)とも言われます。期間は5月から8月までの約3ヶ月間。特に梅雨の時期をまたぐので、雨安居(うあんご)とも言います。ちなみにこの修行が終わると外部との連絡がとれます。丁度、お盆の時期に入りますね。これはこの修行と密接に関わっております。その話は後日します。
                       結制の時期、坐禅を最低3回は行います。一回の坐禅は約40分、これは九寸の線香一本が燃え尽きる時間です。だから、坐禅一回のことを1炷(いっちゅう)と言います。
                       坐禅のマニュアルは永平寺の開祖道元禅師様がお示しになりました『普勧坐禅儀』『坐禅用心記』に詳しく書いてあります。
                      坐禅する時は
                      ・静かな部屋ですること。
                      ・飲食はほどほどにして食事を取りすぎないこと。
                      ・雑念や仕事のことを忘れること。
                      ・物の良し悪し、善悪を考えず、妄想はしないこと。
                      ・仏に成ろうとして坐禅をしては成らない。
                      という注意事項があります。
                      昔は、足を組むしか方法がありませんでしたが、今では椅子坐禅もあります。どちらにしても集中して行ってください。
                       永平寺78代目住職の宮崎奕保禅師は「1分坐れば1分の仏、1日坐れば1日の仏。一生続ければ本物だ。」と仰っておりました。坐禅は続けることで見えるものがあります。


                       
                      jimyouin * 大鐵 * 16:33 * comments(0) * - * - -
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