2019年9月20日 本日の担当 僧侶 唯心

  • 2019.09.20 Friday
  • 15:54

ペットのお葬式に来られた方で、自分はキリスト教ですが、読経して下さいという方がおられました。

 

慈妙院は仏教寺院なので、利用されるすべての方に仏式の葬儀読経による供養をという建前になっていますが、中には宗派や宗教の違いで、葬儀なしで火葬やお別れだけなさる方もおられます。

 

単に断るのが面倒だからという理由で仰ったのなら、強いて立ち会って頂かなくても、キリスト教信者の方で、火葬のみ依頼される方もたくさんありますよ、でもご縁と思って是非にということであれば、読経させて頂きますと申し上げたら、そうです、そういう意味ですと仰るので、それならば、宗教の違いを越えて、思いは亡くなったペットさんに届くでしょうと申し上げると、そうです、そういう気持ちでお願いしましたと重ねて仰ってくださったので、仏式の葬儀を上げさせて頂きました。

 

今日からお彼岸です。

心新たに皆さまが、ペットさんに思いを掛けてくださいますように。

                                   合掌

 

慈妙院動物霊園

亡くなったペットへのお供え

  • 2019.08.20 Tuesday
  • 15:29

慈妙院動物霊園では、亡くなったペットさんの棺に入れるお花をご用意できなかった方のために、「散華」というものをご用意いたしております。

 

花びらの形をかたどった紙に仏さまの絵を描いた、仏事に使う道具ですが、それをお花代わりに入れていただけるように、10枚一組でご用意をしております。

 

先日、お子様づれの若いご家族がお葬式に来られて、この散華を頼まれました。

受付を終えたスタッフの方が、僧侶の控え所に戻ってきて、施主さまが散華を頼まれたことを伝えてくれたので、「はい、分かりました」と答えました。

 

「お子様が散華を頼まれました」とのことなので、「ああ、そうですか」と答えました。

 

そうしたらスタッフの方が、「お子様が、ご自分でお小遣いを出して、ご自分で散華を頼まれました」とさらに畳みかけて言ってくれたので、ああ、それならば、大人のどんな供養に勝るとも劣らない、大きな功徳だなあと思いました。

 

皆さまのどんな思いも行いも、亡くなったペットさんのためにすることは、どれも大事な供養です。

 

慈妙院動物霊園

 

ペットへの後悔

  • 2019.04.05 Friday
  • 14:26

ペットさんのお葬式に来られた方が、「自分の飼い方が悪かったせいで、ペットの寿命を縮めたかも知れない」と後悔されて、お寺に質問して来られました。

 

その飼い方が物理的にどうであり、それが正しかったか良くなかったということは、仏教的に言って、実は重要な事ではありません。

お寺の考えでは、一切の後悔は不要です。

もっと他にも、ペットが亡くなる前にこうすれば良かった、ああしなければ良かったと思うことはたくさんあるかも知れません。

しかし、一切の後悔は不要です。

 

仏教において、既にしてしまった良くないことは今後しないように務める、既にした良いことはまたするように務める、ということは大事ですが、既にしてしまった行為に対して、ああでもない、こうでもないとあれこれ考えることは、考えが堂々巡りするばかりで、供養にとっては大きな妨げとなります。

 

それよりも今からできる良い行いを、これからは重ねる努力をしてみましょう。亡くなったペットさんについて言うならば、例えば様々な形で供養やお参りをしてあげるのも「良い行い」です。

 

そうして供養を続け、自分の心が少し落ち着き、ペットの成仏を実感できるようになった時に、最初の頃の後悔が、さほど重要な事ではなく、自分の心が作り上げていた苦しみに過ぎないことが分かってきます。一切の後悔が不要だというのは、そういう意味です。

 

慈妙院動物霊園

インターネットで申し込める慈妙院動物霊園の日々供養

  • 2019.02.12 Tuesday
  • 17:20

アメリカやインドでは、インターネットを通じてドネーション(お布施や寄付)をすることが珍しくありませんが、日本人の方には少し違和感があると思います。日本でもいわゆるバーチャル納骨堂的なサービスの提供がニュースになったりしますが、皆さまはどう思われるでしょうか?

 

慈妙院動物霊園には、スマートフォンやパソコンなどからペットさんの供養を申し込める「日々供養」があります。

これにはお布施や費用が要りませんが、いくつかこちらの決まり事を必ず守って頂く必要があります。

それと、これはあくまでインターネットを通じてのサービスであり、お電話などで、ペット名を読み上げておいてほしいという依頼を受けることは出来ません。

規定のフォームから送信して頂くと、お寺では決まった時間で区切って皆様の依頼を取りまとめ、それを一枚のシートに印刷して朝のお勤めで僧侶が回向いたします。誰でも参加できるお昼の勤行と違って、朝の勤行は皆さまが参加することは出来ません。

 

インターネットを通じてとは言え、供養される施主の皆さまがペットさんの名前を送信される時には、やはりペットさんへの深い思いがそこに込められていると思います。

それに対してお寺側が返信し、ペット名の読み上げシートを印刷すると言っても、これは機械的に簡単に出来ることではなく、こちらのお寺の専門知識を持つスタッフが独自のシステムを編み出していればこそ、可能なのだそうです。

そしてその読み上げシートを、毎日、担当の僧侶が実際に本堂でお経を上げて読み上げることで、供養と回向が完成します。

デジタルであれ、アナログであれ、人が心を以て構築すればこそ、意味のある形が成立するのであって、それを供養と言い、回向と呼ぶのです。

どうぞ、思いのある方は、慈妙院のペット供養にご縁を持って頂ければと思います。

亡くなったペットに供えた食べ物を、自分で処分しても良いですか?

  • 2018.11.09 Friday
  • 11:30

2018年11月9日 僧侶 唯心

 

亡くなったペットさんのお骨や位牌をお家で祀っておられた方が、四十九日の法要に来られた時に、お供えしていたペットフードや食べ物を、どうやって処分すれば良いかとお尋ねになりました。

ご先祖様や人間の仏壇なら、お下がりとして自分たちで食べたりすることもできますが、ペットフードの場合なら、さて?

 

他のペットさんに差し上げて食べてもらうという方法が、全ての方に可能であるとも限りませんし、また、かと言って、ゴミのように捨てるのも忍びないということで、その方は、慈妙院で「遺品供養」(お志し程度のお布施で預かって供養させて頂いた後、焚き上げる、もしくは品物の材質によっては処分)する、という方法を選ばれました。

 

ただ、今後もそうしてお供えを続ける場合、毎度「遺品供養」にしなくても、今回は四十九日できっちりとお寺を通して供養を頼んで頂いたことですし、今後はお供え物に感謝の気持ちを込めて、ご自身で処分されるのも方法の一つですよと、申し上げておきました。

 

 

慈妙院動物霊園

0120-52-1059

 

行方不明になったペットさんについての後日談

  • 2018.10.10 Wednesday
  • 11:25

2018年10月10日 僧侶 唯心

 

先日に書かせて頂いた記事の補足です。

行方不明になったペットさんのことを、もうおそらく生きておられないと考えて、供養の法要をできないかというご相談が、たまたま相次いだので、慈妙院に出仕される他のご僧侶方のご意見を仰いでみたところ、

・言われた通りにお経を読めば良い。

・生存安全祈願として法要を務めるべきだ。

・本来、動物は人間と違い、臨終に際して姿を隠すもの。人間の場合の同じような状況とは別に考えて、亡くなったものとしての追善供養をしても良いのではないか? 但し、四十九日以降に、とすれば、仏教の教えにも適うのでは?

・般若心経を上げれば良いのでは?

・観音経を上げる。この世でもあの世でも観音さまは我ら衆生を救って下さると観音経に書いてあるから、ペットさんが生きていても亡くなっていても、観世音菩薩の慈悲に預かるために、観音経を上げる。などの意見がありました。

結局、四十九日を過ぎてもペットさんの行方が分からないままだったら、亡くなったものとしての追善供養を受けさせて頂くことにしよう、ということにになりました。

 

その後、ペットさんが行方不明になって2日目くらいに、追善供養の依頼をなさった方がありました。

きっと2日間であっても、その間のご心配は、筆舌に尽くせないほどの苦しみ悩みだったかも知れません。

それでも四十九日間は待ってあげましょう。

待つことも、ペットさんと縁のあった私たちの、務めなのかも知れません。

 

                                          合掌

 

慈妙院動物霊園

行方不明になったペットの追善供養をすべきですか?

  • 2018.09.14 Friday
  • 11:58

2018年9月14日 僧侶 唯心

 

以前から時々あるご依頼なのですが、行方不明になったペットさんのことを、もうおそらく生きておられないと考えて、供養の法要をできないかというご相談が、たまたまこのところ相次ぎました。

 

人間でも災害時などに行方不明になられた方を、亡くなったものとして供養するご葬儀や法要がないこともありませんが、その場合ですら私は多少の違和感を感じます。

もし万が一生きておられたら、例えば極楽往生すべく回向させて頂いた読経や法要の内容が、まるで無駄であったり、空虚なものであったりということにならないでしょうか?

 

そこで私は、慈妙院に出仕される他のご僧侶方のご意見を仰いでみました。

・施主の心に安心を与えるのが法要というものの趣旨だから、言われた通りにお経を読めば良い。

・いや、それれはおかしい。生存安全祈願として法要を務めるべきだ。

という、二通りの意見を予想していましたが…

 

大鐵和尚は、「本来、動物は人間と違い、臨終に際して姿を隠すもの。人間の場合の同じような状況とは別に考えて、亡くなったものとしての追善供養をしても良いのではないか? 但し、四十九日以降に、とすれば、仏教の教えにも適うのでは?」とのこと。

 

龍叡和尚は、「般若心経を上げれば良いのでは?」と即答されました。

 

私も例えば観音経を上げて、ペットさんが生きていても亡くなっていても、観世音菩薩の慈悲にすがる、即ちこの世でもあの世でも観音さまは我ら衆生を救って下さると、観音経に書いてあるのだから、と考えておりました。

 

各ご僧侶方のご意見も参考にしつつ、ご法務に当たらせて頂きたく思います。

 

                                          合掌

 

 

 

 

 

お盆の心配

  • 2018.08.17 Friday
  • 13:09


亡くなって間もない、四十九日にならないペットさんがお盆に帰って来るのだとしたら、三途の川や色々な難関を抜けて極楽にたどり着いたはずのペットさんが、また元の道を通って苦しい試験を再び受けなければならないと思うと心配です、とのことでした。

ご心配は要りません。
三途の川だとか色々な場所というのは、あの世や極楽に向かうための道筋で、ゴールに辿り着くまでに四十九日の日数が必要です。
その道は亡くなってから一度だけ通る道筋です。もう一度、同じ道を後戻りして、あの世の裁きを受けることはありません。

極楽にたどり着いた方が仏さまになった後、お家に帰って来られる期間を「お盆」と言います。
繰り返しますが、もう仏さまになった後ですから、四十九日までに通ったのと同じ道筋は通られません。
今はもう、融通無碍に、自在に、あちらとこちらを行き来されます。

ご心配されることも思いの表れだとは思いますが、どうぞ安心して、しっかりとお参りをしてあげてください。
皆様のお参りが応援となって、亡くなった方は無事、四十九日目に極楽にたどり着き、仏さまになられました。

仏さまには、もはや苦しみも心配あもありませんから、どうぞご安心ください。  

 

本日の担当 慈妙院動物霊園 僧侶 唯心
 

 

 

亡くなったペットは帰って来ますか?

  • 2018.02.02 Friday
  • 14:03

 

四十九日までは仮の仏さまです。

悲しいけれど一所懸命お参りしてあげる、皆さまのその思いが功徳となって四十九日分積もって、四十九日目に無事、亡くなったペットさんは極楽往生、正式に仏さまとなって極楽(天国)にたどり着く、というお話をお参りの人たちにさせて頂いたら、一人の方が質問されました。

 

ということはつまり、もううちの子は帰って来てくれないんですね?と仰るので、あれ?帰って来たら成仏してないわけですから、お気持ちは分からなくはないけれど、「帰って来てくれないんですか?」と残念そうに仰るのは、ちょっと微妙な質問では? と思った時に気がつきました。

そうだ、お盆になったらペットさんが帰って来ます。

 

お盆になると亡くなったご先祖さまやペットさんが帰って来ます。

年に一度ではありますが、それを懐かしく、嬉しく祀ってさしあげるのが、お盆という行事の意味です。

 

帰って来ないから成仏です。それはそれで有難いけれど、皆さんが亡くなったペットさんに会いたい気持ちも分かります。だからお盆があるのです。

お盆にしか帰って来てくれないんじゃありません。

仏さまになったペットさんはきっと極楽浄土でお忙しいにも関わらず、慈悲にあふれるのが仏さまですから、お盆になったら帰って来てくれるんです。嬉しいことではないですか?

 

そういう風にその方にお伝えすることで、こちらも大事なことを教えて頂いた気がします。

 

                                       担当 僧侶 唯心

 

ペット供養と初詣の話を再び

  • 2018.01.09 Tuesday
  • 11:00

2018年1月9日 僧侶 唯心

 

大鐡和尚が年末に慈妙院動物霊園でお葬式をされた方たちから「ペットが亡くなりましたけど初詣に行っていいですか?」という質問を、何度か受けたそうです。

 

このブログでも回答して下さっていますが、和尚のお答えを簡単にまとめさせて頂くと…

「昔から死=穢れという信仰があったから喪中に初詣に行かないという習慣が発生したと言われておりますが、穢れとは「気が枯れる」即ち近親者が亡くなり落ち込んだ状態を表しているので、そんな時に神社に参拝しても参拝に集中できないことから、無理しないでもいいですよという優しい慈悲の気持ちから来たのだと思われます。

そもそも神社の参拝は今まで無事に過ごせましたという感謝の気持ちと恒久の平和を願って行うものなのですから、自分の気持ちが調っていないと願掛けも心から行えないで、気持ちが落ち着いてから初詣を行えばいいのではないでしょうか」

…といったところです。

多分どの宗派の僧侶にお聞きしても、仏教の立場からは似たような解答が導き出されるでしょうから、大鐡和尚は禅宗のお坊さんですが、簡潔に明快に答えてくださったなあと思います。

 

さて、これとはちょっと違った質問を私も慈妙院で受けたことがあります。

ペットさんの喪が明けて、もう初詣に行っても良いとなった時に、神様に対して亡くなったペットの冥福をお祈りしてもいいものでしょうかというご質問です。

慈妙院は天台宗という宗派のお寺ですが、こちらでは「神様」と言う存在は、仏法を守護する生命体だと考えていますので、お坊さんが神社や神様をお参りするための作法があります。
けれど、みなさんが初詣に行かれる時は普通の作法で結構ですから、いつも通り、初詣の時にお願いしていることがあるなら、それをお願いして、その上でペットさんの冥福も併せて祈りましょう。

良いことを、良い言葉でお願いするならば、どんな言葉で祈ってもいいと思います。こちらのお寺でペットさんを供養をされている方ならば、それを踏まえて、初詣の時に神様にペットさんの冥福を祈ることも、仏教的に決して間違いではありません。
「どんな言葉がふさわしいか自分で考える」ことも供養です。

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