只のものは何一つない

  • 2017.03.30 Thursday
  • 16:26

2017年3月30日(木)平野 晃嗣

 

 あるニュースで仏壇のお炊き上げの映像が放映しておりました。そこで仏具店の方が最近は「独り世帯が多くなり仏壇を作るより、お焚き上げのほうが多くなりました。寂しい限りです。」ということを言っておりました。

 

 2013年の調査によると、仏壇の保有率(2人以上で暮らす世帯)は39・2%だった。これを、住宅種類別で比較したデータによると、一戸建てでは半数以上の51・8%が仏壇を保有していたが、マンションなどの集合住宅では21・1%にとどまった。

 

 これからは核家族ならずに単身一代限りの世帯が増えるに従い仏壇保有率は減ると思います。「仏壇」の本来の意味は、文字通り、仏像や仏具を飾り、仏様を祀る台のことです。家庭のお仏壇は、寺院にあるお仏壇(内陣)を小型にして、厨子と一体化して箱型にしたものです。ですから、お仏壇は家の中のお寺のような存在です。

 

 仏壇が無くともお寺参りをすれば特に問題はありません。現に寺院にお参りする人は増えている傾向にあります。

 信仰の形式が変化したのであり、そこは宗教者が柔軟に対応しなくてはならないのではないでしょうか。

 

 私は最近、雛人形の人形供養を対応したことがあります。雛人形は女子の守り神として代々母から子、孫へと受け継がれ、100年ものの人形も珍しくない。そんな雛人形を何の惜しみもなく供養するとは供養という名の処分に等しいと思います。それは依頼されれば、精抜きをし、お焚き上げはします。でも私としてはものを大切にする心を失って欲しくありません。

 

 仏壇も雛人形もそこに気持ちが入らなくなったらそれは只の箱になり、人の形をした置物となります。「これを護惜(ごしゃく)すること眼晴(がんぜい)の如くせよ。」という言葉があります。ものは自分の眼のように大切に扱いなさいという意味です。大切に扱う気持ちを持つことは仏の行いと同じになるのです。

 

 除夜の鐘も最近、裁判で騒音と判決されて中止になっているお寺も増えているそうです。これも結局、鐘の音ではなく、騒音としか思わなくなった現われではないでしょうか?お寺の鐘は戦争で鋳造されたと思いきや結局鋳造できずに戻ってきた鐘がほとんどでした。しかし。扱いが雑だったためほとんどの鐘が割れてしまい鳴らせなかったそうです。今でも鳴っている鐘は戦争で使われずにきれいな形で残った奇跡の鐘とでも言うべきものです。「平和の鐘」といわれるのもその由縁です。だから、除夜の鐘は1年の無事を祈ると同時に恒久の平和を願うものなのです。それを無くすならそれは世の流れと思いますが何か大変な落し物をしていないでしょうか?

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