スポーツをしていれば純情か?

  • 2018.09.28 Friday
  • 15:19

平成30年9月28日㈮ 僧侶大鐵

 スポーツの秋といわれ、ここ最近、スポーツの大会も多く行われております。アジア大会では目覚ましい活躍を魅せた選手も沢山いました。同時にスポーツの問題も頻繁に報道で報じられている。その際、よく耳にするのが「スポーツ選手は純粋だから嘘がない。彼らは直向きに練習してきたから、彼らは悪くない。」私は非常に違和感を感じます。スポーツ選手はというかスポーツが上手い人は常に運動が苦手な人、運動音痴に対して馬鹿にし時には見下し、時にはいじめてきた。「何で出来ないの?」「努力が足りないんだよ。」「へたくそ。」こんな言葉で苦手な人を罵倒してきた。決してみんながみんなそうでもない。自分の世界にひた走る周りの見えないスポーツ選手もいる。

 「こんな偏見よく言えるね。」と言われそうだが、実体験に基づいたことである。だからこの偏見は中々ぬぐえない。コーチに体罰を受けた。指導者からパワハラを受けたと被害者として報道がなされる度に「運動の苦手な人にどんだけひどいことを君らはしてきたか考えたことはあるか?」と言いたくなる。

 体育の教師や部活の顧問もただ競技をするばかりで基本や運動の楽しさはほとんど教えず、ただ、運動神経のいい人や努力家ばかりに単位を上げている。体育に限ったことではありませんが・・・。

 このように私は学生時代に運動に並々ならぬ憎しみがあり、運動が嫌いな時期が続きました。しかし、最近、短期間で足が速くなる。短期間で逆上がりができる。などの本を読み実際に行うといとも簡単に出来た。ある本のあとがきに「運動音痴はいない。教え方が悪いだけ、指導音痴がいるだけだ。」「運動の出来ない人にもっと寄り添って、教えるべきだ。」と書かれていて非常に感動しました。人間誰しもどんなことでも出来ないより、出来た方がより良いです。出来ないことは諦めて、自分の得意分野に徹するべきと言う人もいるが、そんなに人は得意分野を持っているわけではないし、得意になるまで極めようとは思わない。人並みにできればいいかなと思う人が多いと思います。ある程度できれば、次は他の事をしてみる。これを人は挑戦と呼ぶことでしょう。

 これからは極めることに重きを置かず、どんなことでも挑戦できる機会を増やす社会であってほしいです。

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